米の「磨き」が日本酒の香りを生む
和食を楽しむ上で欠かせない存在といえば、日本酒。日本酒は、食用とは別に栽培された酒用の米を使い、2種類の菌の力を借りて醸される、世界に類を見ない酒類だ。日本酒造りの起源は、はるか紀元前までさかのぼるともされ、稲作の国の長い歴史の中で知恵が育まれ、製法が洗練されてきた。
酒造りの現場を、宮城県塩竈市にある「浦霞」(うらかすみ)の蔵元・佐浦酒造に訪ねた。日本全国には1500あまりの蔵元があるが、多くがその土地の歩みとともにある。江戸時代、享保9(1724)年創業の佐浦も、仙台・伊達藩ゆかりの鹽竈(しおがま)神社の御神酒酒屋として信頼も厚く、港町の地元で愛される酒造りを続けてきた。「日本酒というのは酒としての特徴のみならず、それぞれの蔵元が長い歴史の中で地元の地域と密接に関わり合いながら代々受継がれている、世界でも珍しいひとつの文化といえます」と、13代目当主の佐浦弘一社長。「日本酒は冷やでもいいし、冷酒でも、お燗にしても、温度によっていろいろと味が変わるお酒。ワインやビールと並ぶ醸造酒として、海外でももっと楽しんでほしいです」。
9月、佐浦酒造では仕込みの作業が始まる。酒蔵が建ち並ぶ石畳の小道へ向かう、暖簾をくぐった途端、ふわりと漂う甘い香りに包まれる。日本酒の原料となる、蒸した米に麹菌・酵母菌を仕込み水を加えた“もろみ”が発酵している香りだ。
日本酒の仕込みでまず行われるのは、玄米を磨く“精米”の作業。雑味の原因となる表面のタンパク質や脂肪分を削ぎ落とし、どの程度まで米の中心部分を残すか。この“精米歩合”のパーセンテージが低くなればなるほど仕上がりの味や香りは澄み渡り、大きく分けて純米酒、本醸造酒、吟醸酒など、すっきりとしたものから芳醇なものまで、仕上がりのバラエティを生む。一般的に最高ランクとされる大吟醸酒になると、50%以下に磨き上げた米が使われ、とてもフルーティで香りの高いものが多い。
次に、磨かれた米を洗う。吟醸酒の仕込みの場合、磨きの度合いが多くより柔らかい米の芯の部分を扱うため、傷つけないように竹ザルを使って手で丁寧に洗う。そしてストップウォッチを使って正確に時間を計りながら、米を水に浸し、必要な柔らかさになるまで水を吸わせる。
水を含んだ酒米は、巨大な釜で一時間ほどかけて蒸し上げられる。米粒の中は柔らかく、外は固めになるように絶妙に仕上げる。酒蔵によって、蒸し方の流儀も違う。もうもうと蒸気が立ち込める中、米をスコップですくい出し、冷ました後、いよいよ菌たちの出番だ。
微生物たちの声を聞く
30℃以上の高温多湿に保たれた“麹室”(こうじむろ)という部屋で、蒸し米にカビの一種である麹菌を振りかけ、繁殖させる。およそ2日間かけ、昼夜問わず温度と湿度を管理しながら、菌が育つのを見守る。このとき、麹菌のもつ酵素の作用で、米のでんぷん質が糖分に変化する。日本酒の仕上がりの要となる、神聖な時間だ。
こうして出来上がった“麹”と、蒸し米と水に酵母菌を仕込んで培養した“酒母”を混ぜ合わせるともろみが完成。ここからは、酵母菌が「酒」を作り出すはたらきが始まる。
江戸時代の佇まいを残す佐浦の土蔵の醸造蔵には、12台の樽(タンク)がずらりと並ぶ。ひとつの樽で6,000升、およそ2トン分の日本酒を仕込むという。樽の中では、発酵したもろみがぷちぷちという音と泡を立てている。麹に含まれる糖分を、酵母菌が分解し、アルコールを生成している最中だ。蔵人たちは、長い“櫂”を使ってタン、タン、とリズミカルに樽の底を突きながら、もろみを上下にかき混ぜる。温度や濃度を均一に馴染ませ、発酵を進める工程だ。
麹菌にしろ酵母菌にしろ、目には見えないが相手にしているのはまぎれもなく“生き物”。そんな生き物を相手にする蔵人たちに求められるのは、研ぎ澄まされた感覚だ。言うまでもなく重要なのは、仕上がりの味と香りを見極めること。それ以前に、その年によって出来上がりが違う酒米の質を分析し、水に浸す時間、蒸し上げる時間を細かく調節する。水に浸した米の表面の、微かな色の変化や手触りにも全神経を集中させる。そして視覚と触覚だけでなく、聴覚も使うという。タンクの中でもろみが発酵している時の音で、発酵の具合を知ることができる。今は空調などで醸造蔵の温度管理をするが、機械の調子まで音で聞き分けるのだという。日本酒とは“五感で醸す”ものなのだ。
食事とあわせて楽しむのが日本酒
一か月ほどかけて発酵させたもろみを絞ると、日本酒の原酒ができ上がる。圧搾機で絞ったり、吟醸酒の場合は、袋を重ねて自然な重みで丁寧に絞り出す。一般的には原酒を濾過し、“火入れ”という過熱作業で殺菌して菌の発酵作用も止め、水を加えてアルコール分を調整してから出荷する。絞ったままの原酒や、無濾過のもの、火入れをせずにあえて発酵を進めさせるものや、火入れ後にしばらく貯蔵し熟成させたものなど、さまざまな状態で市場に出回る。蔵元それぞれが特徴のある味わいを追求しているとくれば、日本酒の楽しみは無限に広がるというもの。
銘酒を醸す誇りを胸に日々、米と麹などの素材と向き合う杜氏と蔵人たちは、日本酒という作品を生み出すいわばアーティスト。飲む人には、じっくりとその“作品”の味わいに浸ってほしいはずだ。佐浦では、日本酒は決して一番に主張するものではなく、食材、料理と合わせてはじめて完成するものとして酒造りを心掛けている。古くから日本酒は、食事中に楽しみ、次の料理を味わう前に舌を洗う役目ももつものだった。現代の食事の席においても、話題のきっかけになったり、場を和やかにしたり。食材と食材をつなぐものであると同時に、人と人をつなぐもの、それが日本酒だ。