素材と向き合う
3代目畠春斎さんと同じく、若くして活躍している金属作家の一人に、田中潤さんがいる。元々は鉄をメインとして、オブジェやエクステリアを作る、今注目の若手作家。鉄の鈍色をいかしながら、鍛造という手法をつかい、叩くことで鉄にあたたかな質感を与えている。
たとえば田中さんがつくる花器は、鉄という硬質な素材を感じさせないやさしく優美なカーブを描き、継ぎ目はまるで布と布を手でちくちくと縫い合わせたような不均一な美しさがある。
「鉄は扱いが一番原子的なんです。火に入れ、まだ赤い状態で叩きます。地球の核は鉄なんだということを強く想起する瞬間ですね」
田中さんの工房「SAHI」は埼玉県の狭山市にある。広々とした畑が広がるなか、大き目のガレージのような空間の工場(こうば)は、朝から賑やかだった。奥さんとまだ小さい娘さんが、連れ立って見学にきていたのだ。工場正面の草むらにシートを広げ、まるで小さなピクニック。ロフト付きの工房は、コンパクトながらも機能は必要充分以上。年季の入った立派な機材が並ぶ。元は鉄工場を借り受けたという田中さんは「誰かに引っ張られ続けてここまでこられたんですよね」としみじみと語る。
聞けば、驚くことに「物づくりが『特別好き』というわけではない」という。実家が竹細工を生業としていたモノ作りの環境にあったこともあり、若い頃から「何を作るか」を考え続けてきた。あらゆる素材に触れてみた結果、高校から金属の鍛金を学ぶことにした。作業自体は楽しかったが、「ではこれで何を作るのか」に対する答えは出なかった。鋳造で有名な高岡市の短期大学へ行ったのも、それを探すためだったが答えは出ず、大学を出ても、そのまま就職や作家業とはいかなかった。答えのでない中で、非常に気の良い棟梁に出会い、その現場で少しの間はつり(表面をノミなどでエンボスをつける)のアルバイトをさせてもらった。とても良くしてもらったというその棟梁に背中を押され、鉄の造形作家として有名な松岡信夫さんの下で5年半住み込みとして働いた。誰かの力を借りながら、一歩ずつ着実に進んできた田中さん。今は「与えられた環境を生かして、物づくりにどういう意味があるのかを前向きにつきつめている」という。
3000℃のバーナーが生み出す陶器のような風合い
そんな田中さんが、作品の他にずっと作りたかったもの、それが生活に身近な、金属でできた食器だ。シルバーウェアのような気の張るものではなく、普段使いの、触るとほっとできる金属器。「自分なりのメタルテーブルウェアの提案」だという。
試行錯誤の末、原料には軽くて錆びにくいアルミニウムという素材を選んだ。アルミにありがちな軽薄さや、温度の伝わらない空々しさは、田中さんの手に掛かると霧散する。アルミを何度も何度も叩き、溶解するギリギリまで表面を熱した田中さんのお皿は、金属でありながら陶器のようなあたたかみと質感、そして料理が映える明るい色合いを手に入れた。
工程には多くの手間がかかる。厚いアルミ板をカットしたら、まず切断面に出る凹凸を削りとる。更に縁を溶かして丸め、機械で数十トンの圧を掛けて叩いた後に、人力で細かく叩く。表面をワイヤーブラシで磨いてツルツルにしたら、ここでようやく焼きの作業。高温のバーナーで、アルミが溶けるギリギリまで熱して一枚一枚の色や模様を表出させる。
「アルミの融点は約660℃ですが、そこに3000℃を超えるバーナーで焼きを入れます。この火加減で、結合していたアルミの粒子が動き始め、見たこともない自然の色や模様がうまれるのです」
できあがった「風景」は、もちろん一つとして同じものがない。焼き入れの作業は極限まで素材に無理を強いるため、製作の工程で1/3は壊れてしまうという。これを乗り越えた素材のみが、木槌で使いやすい形に成形され、完成品となる。
「手間は掛かりますが、これが手でしか出せないものだと思うんです。工業製品にはない『密』なもの。僕の作品って、まず叩かないものがないんですけど、叩くことって、すごく直接的な関わりだと思う。僕の物や人との関わり方の基本であり理想なのかもしれません」